87歳の父、余命1ヶ月と言われてからの奔走

80代の両親と、これからのこと奮闘中!

[33]母がいなくなった!

毎日夕方5時半に、母に電話をかけています。だいたい20分ほど、今日あったできごとや、何を食べたかなどの他愛のない会話を楽しんでいます。

 

しかし、今日、電話をかけても母が出ません。母は夜に外出しません。母がこの時間に在宅していないことはないのです。

 

はじめは、トイレが長引いているのかな? 近所の人とおしゃべりしてるのかな? 銭湯に行ったのかな? と呑気に考えていましたが、8時になってかけ直しても、呼び出し音がなり続けるばかりです。もちろん携帯電話にも出ません。

 

9時になり、いよいよ不安になり、実家まで行くことにしました。途中の電車の中でうちで倒れている母の姿を想像しました。ベッドで眠ったまま意識のない母。トイレで蹲っている母。でも、そもそもうちにいなかったら? いったいどこに行ってしまったの? よく行く近所の銭湯で倒れて救急車で運ばれた? もしそうならどうやって探せばいいの?

 

インターフォンを押してから、合鍵で実家のドアを開けると、肩掛けにくるまって母が、驚いた顔でよたよたと部屋から出てきました。

「こんな時間にいったいどうしたの?」と母は尋ねます。

わたしは「どうして電話に出ないの!?」と怒ります。

 

ほぼ毎日電話をかけていますが、ごくたまに忘れることがあります。そんなときはこれほど心配しません。わたしは勝手に心配して、勝手に怒っているのです。

 

わたしは人生で「心配する人」を探しているような気がします。離婚してから、心配する相手がいなくなってしまって、誰かを思いやる気持ちのエネルギーが蓄積されていくばかりで、その矛先が母に向かったのかもしれません。では本当に心から母を心配していないのかな? そんなことはないはずだけれど、きっと夫や子供といった、自分自身が作った家族がいた場合、気持ちはその人数分だけ分散されるのかなと思います。

 

なにはともあれ、母が無事でよかった。

今の自分にとって、母の存在がとても必要であることを実感しました。

 

 

[32]規則正しい生活の大切さ

夏に父が亡くなって4ヶ月ほど経ちました。

あの頃の母は支えなしではひとりで歩けず、自分の世話を止め、ただテレビの前にぼおっと座っている毎日でした。誤嚥性肺炎も拗らせてしまい、顔は紙のように白くどんどん弱っていくようでした。このまま父の後を追って亡くなってしまうのではとわたしはとても怖かったのです。

 

しかし、ここ最近、母はだんだんとひとりの生活に自分なりのリズムを構築したようなのです。まず母は、「歩く」ことからはじめました。毎日少しずつ散歩の距離を伸ばしていき、「今日は郵便局まで歩いた」「今日は駅まで行かれた」と話し、タクシーで通っていた診療所にも歩いて行くようになりました。

 

そして、毎朝近所の太極拳に参加するようになりました。はじめは散歩の途中で遠くから見ているだけでしたが、そのうちグループの輪の外で、目立たないように小さく見様見真似で身体を動かすことから始め、今では堂々と輪に加わって毎朝参加し、お友達もできたようです。

 

週に2回、デイサービスの体操クラブにも通っています。最初のうちは、「おじいさん、おばあさんばっかり」と言って不満そうでした(自分もおばあさんだと思うのですが……)。スタッフから子供扱いされることや、幼稚園のゲームのようなものに興醒めし、あまり楽しめていないようでしたが、あるとき母は「ばかになると決めた」と言いました。ボールを転がして大きな箱に入れる、誰にでもできそうな簡単なゲームにも率先して参加し、成功すれば大きな声で喜び、周りに声援を送り、失敗した人を励まし続けると、気付いたら楽しくなっていたそうです。毎回行くのが楽しみだと言っています。

 

よく歩き、運動するようになった母は、食欲も出てきました。以前は一人前の半分も食べられなかったのに、今ではぺろりと平らげ、食後のデザートまで美味しそうに頬張ります。

 

母のふくらはぎをマッサージしますと、肉がついてきて足がしっかりしてきたのがよく分かります。

 

毎朝同じ時間に起き、運動し、食事をし、楽しみ、同じ時間に就寝する。あらためて規則正しい生活が、人間にとってどれほど大切なことかを実感しました。82歳の母からまた学びました。

[31]戒名

お香典返しの手続きが済み、やっと落ち着いたと思ったら、先日納骨のときにお会いした伯母から電話がかかってきました。

 

「納骨も済んだことですし、何というのかしら、けじめというか、何か送ってくださるのかしら?」

 

携帯を握りしめながら冷や汗が吹き出しました。お香典をいただいたとき「お返しなどは気にしないで」という言葉は、やはり立前だったんですね……。

 

しどろもどろになりながら、電話口で先日お香典返しの品を贈ったこと、商品の手配でもうしばらく日にちがかかることを伝えますと、伯母は品物が欲しかったのではなく、戒名を知りたかったようでした。伯父が先祖代々の名前と戒名が記された「過去帳」をつけており、それに書き加えたいとのことでした。

 

それを聞いてまたわたしは慌てました。お礼状に戒名は書いてありません。父が亡くなったときに、母は戒名も必要ないのではないかと言っていて、予定になかったのですが、兄と3人で話し合い、もしここに父がいたら欲しいと言うだろうという結果になりお願いすることになったというくだりです。

 

戒名には値段がありました。父の戒名は6文字で、祖父母は9文字でした。安価な戒名にしたことを、伯母はどう思うでしょうか?

 

父が亡くなった3日後、戒名をつくるために、葬儀社から紹介されたお寺へ故人の情報を伝えることになりました。母に「パパはどんな人だった?」と尋ねますと、開口一番「やさしい人」と言い、何でも一生懸命やる真面目な人だったわと、少しだけ弱々しく微笑みました。父が亡くなって以来はじめての微笑みでした。

 

お寺に電話したときに、母から聞き出した情報を一気に伝えました。優しくて、真面目で、DIYが好きで、英語をずっと勉強していて、40歳で脱サラして小売店を始めたことや、好きだった歌など。話し終える前に住職から遮られ、「あのね、戒名の6文字中、頭に「浄」、最後に「信士」を入れるのは決まってるの。だから入れられるのはたったの3文字だから、そんなに言われても困りますよ」と呆れられてしまいました。

 

それでも、渡されたお札に書かれた6文字の戒名には、父の名前の一文字と、「優」と「貫」という文字が入っていて、浄土往生の意には、

故人は目標を掲げてやり抜く優しい人なり

浄土にて諸佛に迎えられ永く安住される意なり

とあり、母はとても父らしいと喜んでいました。

 

そして、その戒名と意味を伯母にメールしますと、

「お父様に相応しい優しい真っ直ぐな為人が伝わり、良い戒名だと思います」と返事が来まして、わたしはうれしくなりました。

 

戒名、つくっておいて、本当によかったです!

[30]お香典返し

父が亡くなった日に、電話で親戚全員に死去を報告し、コロナ禍であることから葬儀は行わないのでお香典は一切辞退する旨を伝えたのですが、多額の御霊前が送られて来てしまい、母はとても悩んでいました。

 

「香典返しは気にしなくていい」と皆さま口を揃えておっしゃいましたので、わたしはその言葉通りに受け取り、必要ないのではないかと思っていました。しかし母は「そんなわけにはいかないでしょう」と言い、いったい何を贈ればいいものか心底困り果てていました。

 

実家で母をパソコンの前へ座らせ、ネットで注文できる弔事ギフトのサイトを見せました。食品の詰め合わせセットやカタログギフトがありましたが、どれも気に入りません。その理由は、いただいたお香典が額が10万円とあまりに大きすぎて、半返しの5万円という商品がそもそも存在しなかったのです。

 

わたしは何と無駄な行為だろうとため息を吐きました。本人が選んだのでないかぎり、100%気に入る品を贈ることは不可能です。だれも喜ばないもののために、こんなにも高額なお金が支払われるなんて……。

 

品物を決められない母に、相手は皆母と同年代なのだから、自分が欲しいものを贈ったらどうかと提案しました。すると母は「毛布が欲しい」と言い、結局ネットではなく、母の希望である「有名デパート」へふたりで赴きました。ギフトサロンで、親戚には毛布を、そのほかの従姉妹たちにはカタログギフトを注文しました。

 

香典返しに添えるお礼状の見本を見せられ、文字のインクが薄いので理由を尋ねますと、涙で墨が薄くなったという意味があるとサロンの方が教えてくださいました。

 

父が亡くなったことで、今まで知らなかったことにたくさん出会いました。

 

母は「これで本当にひと段落ついたわ」と言いましたが、安堵したというより、気が抜けたように力なく遠くを見ていました。「父を介護する」という義務から解放されたあと、火葬、納骨、公的手続き、香典返しと「仕事」に追われていましたが、それがなくると母のことが心配になってきました。

[29]人が亡くなったとにする手続き

人が亡くなると、びっくりするほど多くの手続きがあります。土地・建物や多くの遺産がある方々はもっと大変でしょうが、うちはそんなことはありません。前述の通り、都営住宅ですし、父の預金額も税金免除の対象額でありました。

 

それでも、わたしはパニックになりました。兄と手分けして手続きを終わらせましたが、伴侶を失ったばかりの母には到底無理な大仕事でした。

 

母はずっと兄やわたしの横で、言われるがままに書類に名前を書くということを繰り返していました。

 

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上記の表を、葬儀社からいただき大変たすかりました。

ここに書いてある通りに進めましたが、とにかく重要だったのは一番はじめに年金事務所へ相談日の予約をとること。年金手続きには届出期限が10日以内と余裕がない上、予約が取れるのは1週間後ととにかく忙しいのです。

 

そして一番最後にすることが銀行への届出です。こちらは家賃や電気・ガス・水道などの引き落とし先が故人の口座になっている場合、すべて変更してからでないと凍結されてややこしくなってしまうようです。

 

わずかに遺された父の預金を、母が相続するための手続きには、葬儀社から紹介された司法書士の方にお願いしました。こちらは銀行口座ひとつにつき5万円で、口座の数プラス手続き料5万円でした。

 

[年金手続きで必要な書類]

身分証明のため

●健康保険証

●通帳の現物

 

●父の年金証書(返却)

●戸籍謄本(夫婦の関係が分かる)

●住民票

●父の除表

●母の所得証明書

●死亡診断書のコピー

●振込先の母の通帳のコピー

(名前、銀行名、番号が分かる)

 

戸籍謄本に故人が亡くなったことが反映されるまでの日数は、伝えてから1〜2週間後です。

 

[28]納骨

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父が小学生のときに、後継がいない親戚の名字を引き継ぐことになったそうです。ある日を境に、5人兄弟の次男だった父は、今までと変わりなく家族と暮らしているのに、自分だけ別の名字を名乗ることになりました。

 

そして、その名前と一緒に引き継いだのが、本日父の骨を納めることになっているお墓でした。ずっと団地住まいで庭を持てなかった父は、そのお墓が立っている畳二畳ほどの敷地に苗木を育て、芝を植え、自分が持っている唯一の土地として愛でていました。

 

しかし、10年前に脳梗塞を患ってからは手入れができなくなり、その敷地は荒れていきました。小さかった苗木はいつの間にか大きく根を伸ばし、お隣の敷地にある墓石を傾かせました。業者に依頼してその木は伐採しましたが、定期的に除草剤を撒かないと、すぐに雑草が生い茂り、打ち捨てられた無縁仏のようになってしまいます。

 

雨が降り頻る中、レインコートを着た石材屋さんが、香炉の下にある重そうな石板を外したので、納骨室が見えました。中にひとつだけ、古く汚れた骨壺が置いてありました。父が引き継いだ名前の主と、そのご先祖様をひとつにまとめたものだそうです。

 

母、兄、わたしの3人以外に、父の兄夫婦だけが立ち会っていました。10年振りに会った伯父は、お洒落なマスタード色のトレンチコートに、襟元から真っ白なYシャツと黒いネクタイがのぞいていました。父よりも2つ年上で90一歩手前だというのに、背筋はしゃんと伸び、滑舌はハッキリ、声は朗々と響き、とても若々しくて父との違いに言葉を失いました。

 

「K子ちゃんとN子ちゃんはお元気ですか?」と、何十年も会っていない従姉妹の近況を聞きました。彼女たちのお父さんは、まだこうして生きているんだな。

 

一月前、火葬のあとすぐに、石材屋さんに電話で納骨を依頼し(ちなみに金額は40,000円でした)、当日は花と線香を準備してくるようにと言われていたのに、すっかり忘れてしまい、石材屋さんが用意してくれたピンク色の百合を花立に生け、線香を焚いて、父の骨壺を墓下に納めました。

 

帰りの車の中で、母は大仕事を終えたようにホッとしていて「あとはお香典返しを済ませればひと段落ね」と言いました。

 

スマホの画面に、墓の前で撮った伯父の顔を拡大しました。

父に似ている。

いいな、まだ生きていて。父もこんなに元気ならずっと生きててほしかった。条件付きなのはいけないこと?

[27]母の健康を守るには?

自分自身の世話をやめてしまった母。20年前に癌で食道を摘出した母の体重は34kgしかありません。これ以上減ったら命にかかわります。かと言って、仕事を放り出してずっと母の側にいることはできません。ではどうしたら?

試行錯誤で試したことを書いてみます。

 

まずは食事。毎日料理をしていた母は、父が亡くなってから一切台所に立たなくなりました。何も食べたくないというわりに、目の前にお膳を並べるとちゃんと食べるのです。それならば、栄養バランスがとれたお弁当はどうか? 

「食のそよ風」というサービスを見つけました。1食395円のお弁当。いろいろな種類のおかずが10食分、冷凍された状態で宅配されます。若い人には物足りない量ですが、少食な母にはちょうどよさそうです。味もまずまず。母は気に入ってくれました。

shokunosoyokaze.com

 

いつも母が通っている病院で先生に相談しますと、「エンシュア・リキッド」という栄養ドリンクを処方してくれました。味は3種類でバニラ/ストロベリー/コーヒー味です。1缶250ミリリットルで250キロカロリー。かなり甘くて美味しいということはありませんが、コーヒー味は比較的飲みやすいらしく、母は毎日1缶を3回に分けて飲み続けてくれています。

 

それから運動とコミュニケーション。生前父は週に2回デイサービスに通っていました。母にも通わせたいと思い、そのためにはまず「介護認定」を受けなければなりません。地域包括センターでケアマネージャーさんを紹介してもらいました。

 

介護認定を受けると、介護用のベッドが安く借りられます。父がずっと借りていたベッドを、今度は母が引き続き借りられるよう申請します。

 

もうひとつ、お風呂問題。母によく聞いてみると、都営住宅のお風呂が古いタイプのもので使いづらく、浴槽が深いのでちょっと怖いのだそうです。

それについても、介護保険で改修費の補助が受けられると知りました。

 

できることをひとつずつ。

 

なるべく母と一緒に食事を摂る。週3回会いに行く。電話は毎日かける。

ひとりで抱え込まない。介護離職になって共倒れしないように、頼れるものは何でも頼る。母が元気でいてくれないと、自分は幸せになれない。